T. G. (ベトナム)
私は12歳の時にベトナムから日本に来ました。
日本語は全然分からず、一からだったので一個下の学年に入れて頂き勉強することになりました。
その時は言葉の壁など感じる余裕もなく必死だったのを覚えています。 そのなかで学校の先生は授業以外でも一緒に勉強をしてくださいました。
また、学校以外にも地域の公民館で日本語を勉強しました。 2年ぐらいは本当に周りが何を話してるのかわからない状態で、疎外感がありました。
しかし、3年ぐらい経つと日本語もある程度わかり、友達もでき学校が楽しくなりました。
一方で、この時から言葉の壁を感じるようになりました。 伝えたいことが、上手く言えず、嫌になったこともありました。
けれど友達とコミュニケーションをする楽しさがわかり、さらに日本語の勉強をするようになりました。
家では親と話す時以外は、日本語を話す日々だった。 そうすると12歳でベトナムを離れた私は、基本的な言葉しか知らず、しかも言葉は話さないと忘れてしまいます。
それに気づき、何かが違うと感じました。 改めて自分の母国語を忘れてはいけないという思いがありました。
それからは自分なりに、ベトナム語に触れる機会を増やしました。 例えば、インターネットでベトナムの記事を読んだり、ベトナムの昔話の本を読んだりしました。 そうすることで、ベトナム語を忘れず、維持することが出来ています。 今では難しい言葉をわからなくても、伝えたいことは伝えられています。 ベトナム語を勉強していることのメリットは考えたことはありませんが、やっぱり周りの友達・親と楽しくコミュニケーションしたい思いがあったから学ぼうという気持ちになれたのだと思います。 自分の思いが伝えれない虚しさ、悔しさがバネになったと思います。
小さい時から日本で暮らす外国の子どもが本当に母国語を維持することは難しく、勉強する機会も少ないと思います。しかし、自分の母国語はやっぱり忘れてはいけないと思います。日本語も母国語も上手く使えるようにし、豊かな表現をして自分の気持ちを伝えれるように勉強を続けることが大事だと感じます。
私は12歳の時にベトナムから日本に来ました。
日本語は全然分からず、一からだったので一個下の学年に入れて頂き勉強することになりました。
その時は言葉の壁など感じる余裕もなく必死だったのを覚えています。 そのなかで学校の先生は授業以外でも一緒に勉強をしてくださいました。
また、学校以外にも地域の公民館で日本語を勉強しました。 2年ぐらいは本当に周りが何を話してるのかわからない状態で、疎外感がありました。
しかし、3年ぐらい経つと日本語もある程度わかり、友達もでき学校が楽しくなりました。
一方で、この時から言葉の壁を感じるようになりました。 伝えたいことが、上手く言えず、嫌になったこともありました。
けれど友達とコミュニケーションをする楽しさがわかり、さらに日本語の勉強をするようになりました。
家では親と話す時以外は、日本語を話す日々だった。 そうすると12歳でベトナムを離れた私は、基本的な言葉しか知らず、しかも言葉は話さないと忘れてしまいます。
それに気づき、何かが違うと感じました。 改めて自分の母国語を忘れてはいけないという思いがありました。
それからは自分なりに、ベトナム語に触れる機会を増やしました。 例えば、インターネットでベトナムの記事を読んだり、ベトナムの昔話の本を読んだりしました。 そうすることで、ベトナム語を忘れず、維持することが出来ています。 今では難しい言葉をわからなくても、伝えたいことは伝えられています。 ベトナム語を勉強していることのメリットは考えたことはありませんが、やっぱり周りの友達・親と楽しくコミュニケーションしたい思いがあったから学ぼうという気持ちになれたのだと思います。 自分の思いが伝えれない虚しさ、悔しさがバネになったと思います。
小さい時から日本で暮らす外国の子どもが本当に母国語を維持することは難しく、勉強する機会も少ないと思います。しかし、自分の母国語はやっぱり忘れてはいけないと思います。日本語も母国語も上手く使えるようにし、豊かな表現をして自分の気持ちを伝えれるように勉強を続けることが大事だと感じます。
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