2011年度 6年生 女子
ヨロブン アンニョンハセヨ。わたしは地元の公立小学校に通う6年生です。
私がオリニソダンに入ったのは、私の学校でオリニマダンが開かれた3年生の時でした。先生に、「韓国朝鮮にルーツのある子どもたちが集まって勉強しているオリニソダンというのがあるよ」とすすめられたからです。
ソダンに入る前、あるとき、「私ハーフなん?」と母に聞いたことがあります。そのとき母は、アボヂが韓国人で自分が日本人であること、結婚するときから生まれてくる子どもには韓国と日本、両方の文化を大切にして育てたいと話し合ったことなど、いろんな話をしてくれました。それを聞いて私は、みんなとちがうというのが何か誇らしいと感じられました。
最初、ソダンに行って思ったのは、「うわー同じルーツを持った子がこんなにたくさんいるんだー。」というおどろきでした。それから今日まで、ほかの習いごととのかけ持ちで、しんどい時もあるけど、ソダンやマダンに参加してきました。
アボヂはマダンに出てチャングをたたいたり、プチェチュムを踊っている私を見るたび、毎年のように、「ひいじいちゃん、ひいばあちゃんが生きてたら絶対、よろこんどうわ、いっしょにおどるんちゃうか」とうれしそうに言います。
学校の友だちも先生もオリニマダンを見に来てくれます。先生は、「長田の子は絶対オリニマダンを見に行かなあかん。すごくええ機会や」と、クラスで呼びかけてくれます。
次の日、みんなが、「きれかったよ、よかったよ」と言ってくれるのがうれしいです。
私は自分のルーツをかくそうとするのはキライです。自分のことがわかるということは自分のことを友だちに言えるということだと思います。
ソダンやマダンでたくさんのことを教えてくれたソンセンニム、コマッスムニダ!
私の夢は舞台女優になることです。小学校1年のときからずっとミュージカルをやってきました。夢に向かって一生懸命がんばって行きたいと思います。カムサハムニダ!
ヨロブン アンニョンハセヨ。わたしは地元の公立小学校に通う6年生です。
私がオリニソダンに入ったのは、私の学校でオリニマダンが開かれた3年生の時でした。先生に、「韓国朝鮮にルーツのある子どもたちが集まって勉強しているオリニソダンというのがあるよ」とすすめられたからです。
ソダンに入る前、あるとき、「私ハーフなん?」と母に聞いたことがあります。そのとき母は、アボヂが韓国人で自分が日本人であること、結婚するときから生まれてくる子どもには韓国と日本、両方の文化を大切にして育てたいと話し合ったことなど、いろんな話をしてくれました。それを聞いて私は、みんなとちがうというのが何か誇らしいと感じられました。
最初、ソダンに行って思ったのは、「うわー同じルーツを持った子がこんなにたくさんいるんだー。」というおどろきでした。それから今日まで、ほかの習いごととのかけ持ちで、しんどい時もあるけど、ソダンやマダンに参加してきました。
アボヂはマダンに出てチャングをたたいたり、プチェチュムを踊っている私を見るたび、毎年のように、「ひいじいちゃん、ひいばあちゃんが生きてたら絶対、よろこんどうわ、いっしょにおどるんちゃうか」とうれしそうに言います。
学校の友だちも先生もオリニマダンを見に来てくれます。先生は、「長田の子は絶対オリニマダンを見に行かなあかん。すごくええ機会や」と、クラスで呼びかけてくれます。
次の日、みんなが、「きれかったよ、よかったよ」と言ってくれるのがうれしいです。
私は自分のルーツをかくそうとするのはキライです。自分のことがわかるということは自分のことを友だちに言えるということだと思います。
ソダンやマダンでたくさんのことを教えてくれたソンセンニム、コマッスムニダ!
私の夢は舞台女優になることです。小学校1年のときからずっとミュージカルをやってきました。夢に向かって一生懸命がんばって行きたいと思います。カムサハムニダ!