<<バイリンガルをめざす>>
■バイリンガルって
バイリンガル教育とは、2言語または複数の言語に堪能な人材を育てる教育のことです。バイリンガルと言っても、両言語が同等に使える場合もありますが、均等ではない場合もあります。日本の公立学校では小学5年生から英語を学ぶことになりましたが、そのようにすればみなバイリンガルになるのでしょうか。
英語などを学ぶ外国語教育とバイリンガル教育では、どのような違いがあるのでしょうか。一般に、バイリンガルの場合は、2つの言語で話す、聞く、読む、書く、考える、感じる、判断するなどの言語面だけでなく、それらの言語を使って仲間と違和感なく行動できるような文化能力や、言語を使うことで自分自身の自尊感情も育成された状態をさします。つまりバイリンガル教育では、母語と外国語の両言語の育成が目標になりますが、外国語教育では、学習対象の外国語のみの発達をさすことになります。したがって、バイリンガル教育と言う場合は、母語との関係を考えることを含むので、単に外国語に堪能であるという以上に自分自身のアイデンティティにもかかわる重要な教育だとも言えましょう。
英語などを学ぶ外国語教育とバイリンガル教育では、どのような違いがあるのでしょうか。一般に、バイリンガルの場合は、2つの言語で話す、聞く、読む、書く、考える、感じる、判断するなどの言語面だけでなく、それらの言語を使って仲間と違和感なく行動できるような文化能力や、言語を使うことで自分自身の自尊感情も育成された状態をさします。つまりバイリンガル教育では、母語と外国語の両言語の育成が目標になりますが、外国語教育では、学習対象の外国語のみの発達をさすことになります。したがって、バイリンガル教育と言う場合は、母語との関係を考えることを含むので、単に外国語に堪能であるという以上に自分自身のアイデンティティにもかかわる重要な教育だとも言えましょう。
■日本社会における外国につながる子ども達へのバイリンガル教育
幼少期に日本に来て日本での学校生活が始まると、どんどん日本語を学ぶ一方で、母語は、急激に減退してしまうということがあります。なにも手立てをしないと、日本の社会では日本語が優勢であり学校教育でも母語は取り上げられないので、子どもは母語を運用しなくなってしまいます。それでは、せっかくの国際人育成の機会を逸してしまいます。否、外国人児童生徒の側に立てば、子どもの人格形成のうえでも、親との絆のためにも、さらに、母語での学習権の確保という意味でもバイリンガル教育は、真剣に考えていかなければなりません。
中島(2010)は「言語的多数派の児童生徒のためのバイリンガル教育がいわば贅沢品であるのに対して、少数派児童生徒のためのバイリンガル教育は、必需品と言えよう」(p.43)と述べています。一人一人の子どものことを考えたら早急に対応していかなければならないことでしょう。
中島(2010)は「言語的多数派の児童生徒のためのバイリンガル教育がいわば贅沢品であるのに対して、少数派児童生徒のためのバイリンガル教育は、必需品と言えよう」(p.43)と述べています。一人一人の子どものことを考えたら早急に対応していかなければならないことでしょう。
■家庭、学校、地域の連携
バイリンガル教育は、母語教育と密接に関係しています。母語をしっかり習得していないと日本語の学習もままなりません。逆に母語が充分に定着していれば、第2言語の習得もスムーズにいくだけでなく、学校言語の力も伸びます。たとえ学校で少数派の言語を使って学んでも学校言語の学力に悪い影響が出ることはありません。むしろ子どもの母語を否定することは、子ども自身を否定することにもなりかねません。このように母語の維持は、日本語を学ぶ上でも重要ですが、実際に、日本でブラジル人の子どもがポルトガル語を、ベトナム人の子どもがベトナム語を、というように母語として維持するには、バイリンガル教育を意図的に支援する体制が必要です。家庭で意識して母語を使用するだけでなく、学校でも外国につながる子ども達の母語に関心を持ち、その価値を皆が認識できるようにしなければなりません。また、NPOなどとも連携し、母語教育の時間と場を提供する必要もあるでしょう。場合によっては、民族学校との連携も考えられるでしょう。
■参考文献
ジム・カミンズ著・中島和子訳(2011)『言語マイノリティーを支える教育』慶應義塾大学出版会
中島和子編著(2010)『マルチリンガル教育への招待 言語資源としての外国人・日本人年少者』ひつじ書房
中島和子編著(2010)『マルチリンガル教育への招待 言語資源としての外国人・日本人年少者』ひつじ書房